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日本人はいつから古文書を読めなくなったのか

  • 古文書探偵
  • 2019年10月31日
  • 読了時間: 3分

更新日:2020年1月19日

日本人は一体、いつから古文書を読めなくなったのでしょうか。

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変体仮名。1行目は「伊路半耳暮辺(いろはにほへ)」。戦前の日本人は誰もが変体仮名を理解していた

 古文書は漢字・仮名(平仮名、片仮名)・漢文(不残など返読がある)交じりで書かれています。古文書を読めるということは、漢字と仮名の崩し、返読や記号(ゟ)を認識できるということにほかなりません。漢字の崩しは1字ずつ形を覚える必要があり、併せて変体仮名を習得することが王道です。

 みなさんは普通に

  あいうえお

と書けるかと思いますが、これは実は古文書の崩し字です。

 安以宇衣於

 実はこの漢字を崩して書いています。「加幾久計己(かきくけこ)」も同様です。

 写真をご覧ください。これは大正5年(1916)に初版が刊行された『女子手紙の文』の冒頭にある変体仮名です。どれぐらいの方が読めるでしょうか。恐らく90歳、100歳の方は読める(ぎりぎり読める世代に入るのでは)のではないかと思われます。80歳、70歳の方はいかがでしょうか。特に70歳前後の団塊の世代はいかがでしょうか。

 これが読み、書きできた世代は現在何歳でしょうか。上のような手紙の模範字体・文例の本が読まれていた昭和10年段階で20歳だとして大正4年(1915)生まれだと、現在、100歳以上となります。

 つまり100歳以上の方々は恐らく江戸時代の古文書と向き合った時に、戦後世代の我々が感ずる抵抗感よりはハードルが低かったのではないかと思われます。つまり読めたのではないかと推察されます。

 実は「あいうえお…」のほかにももっと数種類の仮名の書き方がありましたが、明治33年(1900)に明治政府によって現在の「あいうえお…」に統一されてしまいました。「あいうえお」以外の仮名は〝変体仮名〟と分類されるという事態が起こったのです。それでも生活習慣の中で変体仮名はしばらくの間、根強く生き続けました。現在は書道をなさる方の中でかなまで進んだ方が変体仮名を理解されるのみとなりました。

 変体仮名を理解できない一種の〝文化大革命〟は戦後に加速化しました。私は昭和41年(丙午、1966年)生まれですが、同世代はもちろん親の世代でも身の回りにこうした文字を書く人はいませんでした。崩し字も我流に崩していたように思います。

 特に戦後はアメリカ文化(映画、音楽など)がどっと流入し、敗戦国日本の若者たちはこちらに親しみました。そうした中で活字になじみ、横文字(英語やカタカナ)をしゃれたものに捉える感覚(学者・インテリにありがちですが、英語で話すと最先端のことを話しているような錯覚)が定着し、伝統的なものをベースとした教養(戦前なら誰でも知っていたことがわからなくなる)が次第に薄れていきました。

 かくして古文書を読めない、古文書をただのかび臭いゴミだと目に映ずる日本人が生まれたのです。それがいいことなのか、悪いことなのか、昨今の風潮を見ていると結果はすでに表れているような気がしますが、それでも日本の伝統を語れない英語スピーカーを育てたい日本の教育は何かヘンテコですね。

 
 
 

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